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無口な先生の差し入れ

小説ID: cmpl4rnrh000q01p4wqyuisiq

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文化祭当日の朝、校舎の空気はまだ冷たいのに、正面玄関から流れ込む足音だけが熱を帯びていた。美術部の展示室には、開場前だというのにすでに人だかりができはじめている。廊下の向こうから聞こえるざわめきは、期待そのものみたいに膨らんで、胸の奥を落ち着かなくさせた。 「来てる、来てる」 後輩がカーテンの隙間から外を覗いて、小さく息を呑む。 「こんなに入るの、去年より多くない?」 「展示が目立つからだろ。ほら、照明もいい感じだ」 展示室に足を踏み入れた来場者たちは、まず大きなパネルの前で足を止めた。色面の重なりを見上げ、細かな線を追い、作品の前でしばらく動かない。誰かが感嘆の声を漏らすたび、部員たちの背筋がじわりと伸びた。苦労して塗り重ねた色が、ただの作業ではなく、人の目に届いている。その事実が、何よりもまぶしかった。 「あれ、タイトルの入り方いいね」 「こっちの配置、すごく見やすい」 「手前の影が効いてる」 通りすがりの言葉が、まるでご褒美みたいに降ってくる。部長は表情を変えずに案内していたが、その耳だけは少し赤い。後輩は緊張で指先をそわそわさせながらも、説明を求められるたびにきちんと答えた。聞いてくれる人がいる。それだけで、これまでの徹夜や失敗や塗り直しが、急に意味を持ちはじめる。 作品の前で立ち止まった中年の女性が、ふっと笑った。 「この雰囲気、好きです。作った人たち、楽しんでたでしょう」 その一言に、部員のひとりが目を見開く。 楽しんでいたか。疲れてばかりいた気がするのに、そう言われると、確かに途中からは笑ってばかりいたかもしれない。差し入れの謎を追いかけた日々も、いま思えば全部、準備の一部だった。 人の流れは途切れない。休む暇がないはずなのに、誰も悲鳴を上げなかった。むしろ、反応が返ってくるたびに、部室で積み上げてきた時間が少しずつ報われていく。写真を撮る者、友人に説明する者、静かに見入る者。そのどれもが、作品を通してこちらに触れてくる。 昼前になるころには、展示室の外まで列が伸びていた。部員たちは顔を見合わせ、思わず笑う。予想以上、なんて言葉では足りない。うれしい悲鳴というのは、きっとこういうことだ。 「やばい、これ、明日の片づけが逆に怖い」 誰かがそう漏らすと、周囲がどっと笑った。 その笑いの奥で、ふと誰かが言う。 「でも、まだ終わりじゃないよな」 差し入れの謎は、今日もまだ完全には解けていない。あの無口な先生が本当に主なのか、それとも別の誰かなのか。だが、今はそれを追い詰める必要もなかった。目の前の作品は確かに見られている。自分たちの手で作ったものが、ちゃんと誰かの記憶に残っていく。 午後になれば、さらに人は増えるだろう。明日の片づけまで、まだ少しだけ期待を持ち越せる。部員たちは次の案内のために立ち位置を整えながら、視線だけでうなずき合った。謎は残る。それでも、今日は勝った。そんな実感だけが、展示室の熱気のなかで静かに脈打っていた。