夕方の配送センターは、保冷箱の駆動音と雨粒の音だけが残っていた。直人は休憩室の隅に置かれた白い筐体を眺めた。福利厚生の一環として今月から置かれた追憶共有端末。利用者の同意を得て提供された記憶を、十分間だけ追体験できる装置だと説明書にはある。 疲労軽減に役立つ、という宣伝文句には半信半疑だった。だが、次の便まで二十分ある。直人は社員証を読み取り部へかざした。 淡い光が視界を満たした。 湯気の立つ味噌汁。箸の先で崩れる焼き魚。向かいの椅子は空いているのに、誰かの帰りを待つように、食卓にはもう一膳が並べられていた。老いた手が湯飲みを包み、窓の外を走る配送車の音に、ほんの少しだけ顔を上げる。 知らない高齢者の、静かな夕食だった。寂しいという言葉を使わずに、寂しさだけが部屋に沈んでいる。直人はなぜか、食べ終えた皿をすぐには片づけない方がいいと思った。 電子音で感覚が切れた。 端末の表示は利用終了を告げていた。体験時間、十分。直人は肩を回し、壁の時計を見て立ち尽くした。 十七時四十分のはずが、針は十六時四十分を指している。 休憩室の時計は古い。止まったのかと思い、自分の端末を開く。表示された日付は昨日だった。 配送記録も同じだった。午前に配ったはずの五件が、未配達の一覧に並んでいる。けれど制服のポケットには、さっき回収した空の不在票が入っていた。雨で滲んだ時刻欄には、確かに明日の日付が印字されている。 直人は端末へ近づいた。白い筐体の側面に、小さな警告灯がひとつだけ赤く点滅していた。説明書には見覚えのない表示だった。 次の便の通知が鳴る。昨日と同じ住所、同じ荷物、同じ順番。 不具合なら、管理部署へ報告すればいい。そう考えながらも、直人は配送車の鍵を握った。昨日の自分が、この道をどう走ったのか。なぜかそれだけが、ひどく思い出せなかった。
追憶端末、最初の挨拶
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