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追憶端末、最初の挨拶

小説ID: cmu2stum1002z01mzfcb0mwpe

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四時四十五分を告げる音が、静かな受付に響いた。担当者は契約書を開き、署名欄の横に細い端末ペンを置いた。 「本日を過ぎますと、保全対象は処理に入ります。生活再建費も、ご指定の口座へ」 画面の金額は、家賃三か月分と、滞納した公共料金を埋めるには十分だった。五年前の直人は、これを見ている。父の声を責め言葉としてだけ覚え、母の誘いを逃げ場のない場所への呼び出しだと思い込み、手元に残った数字だけを頼りにしようとしている。 担当者が続けた。 「撤回なさる場合、現在の人間関係や勤務上の評価は、別の形になります。補助の導入後に築かれた習慣も、同じようには続かない可能性があります」 真壁の積み残しを減らす順路。扉を三回叩くこと。平屋の住人が出てくるまで待つ数十秒。迷子の子どもを交番ではなく、まず人通りのある案内所へ連れていった判断。直人の中に残るそれらは、提供者の記録が指した方向と、自分が繰り返した選択が重なったものだった。 失えば、誰かを待たせる側に戻るかもしれない。家族の食卓を取り戻しても、そこにいる自分がまた扉を閉めるかもしれない。その怖さは、署名する怖さよりも重かった。 直人はペンを取らなかった。 「補助がなければ、俺は何もできないんですか」 担当者は首を振った。 「できるかどうかは、記録では決められません。ただ、選びやすさは変わります」 選びやすさ。そのために家族の顔を手放し、自分の欠けた場所を別の判断で埋める。五年前の自分は、選べないほど追い詰められていたのだろう。だからといって、その選択を未来の自分まで黙って引き受ける必要はない。 直人は契約書を閉じ、担当者へ返した。 「撤回します。家族のことも、これから困ることも、自分で引き受けます」 担当者はしばらく直人を見た後、未成立の印を画面に表示した。譲渡先保全庫への移送、人格履歴補助の導入確認、その二つが淡く消えていく。 窓の外で配送車が走り去った。直人はその音を聞きながら、明日、自分が誰を覚えていて、誰に覚えられていないのかを考えた。それでも、忘れたくないから選ぶのではない。これからは、自分で忘れないようにするために選ぶのだ。

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