chapalette Logo

卒業式に席は足りるか

小説ID: cmu9y0v5e001b01mzc7iuuywf

9 / 10

夜明け前、講堂の冷気は底を打ったように思えた。赤い表示の下で、電子錠の解除時刻まであと数分を示す数字が変わっていく。 岸本は舞台の机に白紙を広げた。震える指で、申請の訂正と再審査を求める文を書きつける。真琴の進学を、善意や口約束ではなく、本人が知ったうえで選べる形へ戻すために。 榊は続けて、学校外の相談員につながる第三者窓口を提案した。欠席や書類不足を理由に相談を閉じず、家庭にも学校にも言いにくい事情を、別の場所で受け止める窓口だった。 「卒業式の席も変えたいです」 真琴が言った。 「卒業できた人だけが前に座るんじゃなくて、学び直している人も、途中で立ち止まった人も来られるようにしたい。湊くんが来ても、ここにいていいって分かる式に」 玲子は娘の言葉を聞き、地域の支援団体と保護者が話せる場を加えた。困っていることを、本人だけの努力不足にしないための場だった。 四人は文面を読み返した。告発ではない。だが、誰かの失敗を曖昧に許す紙でもなかった。岸本が最初に署名し、榊、玲子、真琴が続いた。 六時を告げる小さな音とともに、赤い灯が消えた。扉が開く。廊下の朝の光の中に、湊が立っていた。会館職員の作業着の上へ、見覚えのある演劇部の徽章を付けている。 「遅くなってすみません」 湊はそう言ってから、机上の提案書を見た。その目にあったのは勝ち誇りではなく、確かめるような静かな驚きだった。 榊が差し出した紙を、湊は受け取らなかった。 「これは、学校だけの提案じゃ足りません」 彼は廊下の先を示した。そこには地域の学び直し支援の職員たちが、式典準備のために集まっていた。湊は卒業を失ったのではなかった。別の場所で学びを続け、今日の舞台を整える側になっていた。 「一緒に出しましょう」 その一言で、閉じた講堂は初めて外へ開いた。卒業式は予定された祝辞を改め、遠回りした者にも席のある式として始まった。壇上の空いた椅子は、誰かを待たせるためではなく、これから戻ってくる人のために残された。

Share:

LINE