アシルは探偵事務所の戸を開け放ち、表の路地に長椅子と水桶を並べた。 「王妃を覚えている人は、助けられた話も、何気ない言葉も聞かせてほしい」 集まった市民は、最初は互いの顔を見ていた。王家のことを口にすれば、再建事業の許可を握るザハルに目をつけられる。だが果物売りのナディアが進み出て、弟の薬代を王妃が匿名で払ったことを話すと、堰を切ったように声が続いた。 市場の老女は、王妃が壊れた竈を直す職人を手配したと言った。荷車引きは、税を払えぬ月に王妃が帳簿の誤りを見つけてくれたと語った。皆、王妃が礼を受けるより先に相手の名を呼んだことを覚えていた。 アシルは一つ残らず帳面へ記した。母は失踪の直前、民の間に逃げ道と助け手を作っていたのだ。温室の鉢にあったナディアの名も、その証だった。 日が傾いたころ、煤けた指の男が人垣の端で足を止めた。陶工のマルドである。彼は何度も口を開きかけ、ようやく低い声を絞り出した。 「失踪した夜、女の旅人が窯場へ来た。王妃様によく似ていた。けれど、身なりは粗末で、ひどく喉が渇いているようだった」 マルドは棚から、小さな欠けのある青釉の水差しを取り出した。 「これを渡した。お代はいらないと言ったら、明日の朝露は嘘を隠せない、と……そう言ったんです」 水差しの底には、王家のものではない陶工の印と、白い砂が薄くこびりついていた。アシルは身を乗り出す。 「旅人はどこへ向かった」 「北の離宮へ通じる古い水路を教えた。窯の裏の石蓋から入れて、昔は庭の井戸へ抜けた道です。ただ、離宮側は大臣の再建用資材が積まれて、近ごろは見張りもいる」 白砂、離宮、朝露。別々だった手掛かりが一本の水路になった。王妃は逃げたのではない。追う者の目を避け、離宮へ入った。そしてザハルは、その出入口を資材と権限で塞いでいる。 アシルは水差しを抱えたまま、窓辺へ白砂を三粒置いた。母が生きている可能性と、偽物の王冠を置いた者が隠したものを、今すぐラズへ届けるために。
眠れる探偵こそ王だ
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