試験の受付には、本人確認の札が立っていた。昨日読んだ校則が、今朝は机の上で待ち構えている。 「名前と、身体の交換の有無をお願いします」 ナギは唇を開いた。僕はナギです。その一言なら、息を継がずに言えるはずだった。 列の向こうに、自分の顔をしたカイがいた。小さくうなずいている。大丈夫という意味なのか、頼むという意味なのか、もう分からなかった。 「カイです。交換は、ありません」 受付係が印を押した。 乾いた音がした。大きな音ではないのに、ナギの中で何かがはっきり区切られた。 実技は浅い安全水域から始まった。底の線まで歩き、補助具を持って姿勢を保つ。担当の監督者は、練習でも顔を合わせた人だった。 「体調に問題はある?」 「……大丈夫です」 大丈夫という言葉だけが、泳ぎより上達していた。 制服が腕を滑らかに上げ、見事な開始姿勢を取った。競技会の記念像にしても苦情が来そうにない。 「では、補助具を持って、前へ」 ナギは止まった。 片足を出すのか、先に息を吐くのか。練習で教わった順序が、胸の音に押し流される。水は腰ほどしかない。それでも底の線が、越えてはいけない深い溝に見えた。 制服だけが堂々としていた。中身の不在を、服が全力で隠している。 「そのままでいい。実技は中止します」 監督者の声は静かだった。 「右の手すりにつかまって。ゆっくり上がろう」 ナギは指示に従った。足が床に戻ったとき、安心より先に、受付で押された印の音を思い出した。 泳げなかったことなら、初めから分かっていた。分かっていて、別の名前を口にしたのは自分だった。 控室で、監督者はタオルと椅子を用意した。制服が礼儀正しくお辞儀をする。 「今は姿勢を整えなくていいよ」 ナギは襟を押さえた。服にまで気を遣われている場合ではなかった。 「練習のとき、話しかけてくれたね。その続きを聞いてもいい?」 ナギは膝の上の手を見た。カイの手だった。でも、握りしめているのは自分だ。 「僕は、ナギです。身体がカイと入れ替わっています」 声が震えた。 「それを知っていて、今朝、カイの名前で受付をしました」 監督者は記録を取り、試験結果を保留すると告げた。本人確認の面談には、カイも呼ばれるという。 ナギはうなずいた。 今度は、制服より先に自分で頭を下げた。
借りた身体、嘘の代償は退学
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