chapalette Logo

銀髪バイトのコンビニ日誌

小説ID: cmpovhgtc000001pq8hcypqzb

8 / 10

新しいマニュアルが届いたのは、月曜の開店前だった。店長が段ボールを開けた瞬間、厚い冊子が何冊も積み上がり、表紙には見慣れない色分けと細かな図が並んでいる。効率化、統一、再現性。どれももっともらしい言葉で、俺は少し期待した。これで迷う場面が減るなら、あのときの焦りも少しは薄れるはずだ。 だが最初のページをめくって、俺は思わず息を止めた。レジ前の確認、品出しの順番、声かけの角度、補充箱の置き方まで、一つの動作がいくつもの手順に分かれている。しかも途中で分岐があり、客の人数、時間帯、棚の空き具合によって読む場所が変わる。店長は笑っていたが、佐伯さんはもう眉をひそめ、山田さんは真顔で付箋を貼り始めた。 昼になると、さっそく実地で試すことになった。俺は冊子を片手にレジへ立ち、最初の客に応対する前に、指差し確認を二度、呼称を一度、笑顔の角度まで意識する。ところが列の先頭に来たのは、急いでいる様子の会社員だった。マニュアル通りに進めようとした俺の前で、その人は温めるかどうかを即答せず、財布を探しながら片耳で電話をしている。冊子のどの項目にも、電話しながら会計する客への対処は細かく書かれていない。 俺は一瞬だけページを見失い、それから本を閉じた。 「先に会計だけ進めます。温めは、あとでこちらで確認しますね」 言い切ると、不思議なくらい肩の力が抜けた。客もそれでうなずき、流れは止まらない。次の客は子ども連れで、レジ横の飴を見て立ち止まった。冊子では年齢確認の項目が細かく分かれていたが、目の前の母親は笑いながら、今日はごほうびにひとつだけ、と子どもに選ばせた。俺はそこで、全てを手順で追うより、まず相手の息づかいを見るほうが早いのだと知った。 午後、店長がバックヤードで紙の束を広げ、要点だけ抜き出した簡易表を作り始めた。佐伯さんは陳列の流れを自分なりにまとめ、山田さんは例外対応を別枠に書き足す。俺も、実際に迷った箇所だけに印を付けていった。すると不思議なことに、ばらばらだった冊子が、少しずつこの店の形に削られていく。 閉店前、店長は完成した紙を見て、これなら現場で使える、と頷いた。俺はマニュアルを否定したわけじゃない。ただ、どれほど整った決まりでも、目の前の客の都合までは同じ形にできない。だからこそ、決まりと人の動きの間に、ほんの少しだけ余白がいる。 その夜、俺は改めて冊子を開いた。細かな文字の海の中に、さっき自分たちで足した付箋が並んでいる。机上の正しさと、店のあわただしさ。その二つが重なったページを見て、俺は少し笑った。銀色の髪が紙面に落ちる。次に困る場面が来ても、今度は冊子をそのまま信じきるのではなく、使い方を選べる気がした。