観測船オリオンの観測窓の向こうで、名もない光が尾を引いた。 紗良は息を止め、手元の撮影端末を固定する。予定表にない位置、既知の小惑星とも重ならない速度。闇をほどくような淡い青白さが、星々のあいだを静かに流れていた。 「記録開始。対象は彗星の可能性」 声に応じて装置が撮影を始めた瞬間、彗星の核がふいに強く瞬いた。窓いっぱいに白い光が満ち、紗良の視界から無重力の船室が消えた。 次に感じたのは、冷えた木の床だった。 頬を寄せたまま紗良はまばたきをした。鼻先には古い紙と機械油、乾いた薪の匂いがある。丸窓の外には山の稜線が黒く沈み、その上に、見慣れたはずの地上の星空が広がっていた。 「……おじいちゃんの天文台?」 声は自分のものだった。けれど手をつくと、節の張った大きな指が床板を押さえている。壁には源三が何十年も使ってきた星図、机には革表紙の観測手帳、そして眠っているはずの古い通信機が置かれていた。 通信機がけたたましく鳴る。 紗良は震える指で受話器を取った。 「紗良か! 聞こえるか、紗良!」 飛び込んできたのは祖父の声だった。ただし、その声は紗良自身の響きで船内に反響しているらしい。背後では警報音と、誰かが落ち着いてくださいと繰り返す声が重なっていた。 「源三? そこ、オリオンなの?」 「そうらしい! わしは今、おまえの身体でふわふわ浮いておる! 扉は声でしか開かんし、機械はわしを紗良だと言い張る!」 紗良は思わず望遠鏡の支柱をつかんだ。驚くべきことに、通信越しの祖父の向こうで、無重力に舞った観測用の手袋が見えた。撮影した彗星の閃光。その直後に起きた入れ替わり。偶然として片づけるには、空はあまりにも静かだった。 「まず、深呼吸して。船の人に、あなたは源三だって伝えて」 「伝えた。みんな困った顔をした」 「それはそうでしょうね」 紗良は苦笑し、丸窓へ目を向けた。東の空、撮影した光と同じ青白い尾が、山の上にかすかに見えていた。 「おじいちゃん。あの彗星を、そっちでも追って」 「うむ。そちらはどうする」 紗良は源三の望遠鏡に手を伸ばした。 「地上から見ます。同じ彗星を。私たちが何を入れ替えたのか、空なら答えてくれるかもしれない」 受話器の向こうで、祖父が短く笑った。 「ならば観測開始じゃ、紗良」
彗星は誰の空にあるか
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