紗良は、航法図に残る幾つもの淡い弧を見つめた。どれも地球を避けている。けれど、その広がりは安心を届けるには曖昧すぎた。 「一本に絞るんじゃない」 源三の声が、静かな船内から届いた。 「彗星が選ぶ道を、わしらが同じ目で見つけるんじゃ」 地上では雲がまた丸屋根を覆いかけていた。紗良は望遠鏡から目を離し、濡れた窓に映る源三の顔を見た。長いあいだ祖父は、答えの出ない夜にもこの場所で空を待ってきた。その時間は、何かを発見するためだけではなかったのだ。 「おじいちゃん」 「なんじゃ」 「私、彗星を安全だと証明したいんじゃない」 通信の向こうで、源三が眼鏡を直す気配がした。 「うむ」 「無事に見届けたい。地球も、あの彗星も。怖がって終わりにしないで、ちゃんと行く先まで」 源三は観測窓の外へ向いた。青白い尾は地球を脅かす矢ではなく、深い闇を渡る旅人の灯のように揺れている。 「わしも同じじゃ。急いで名をつけるより、あれが空を抜けるところを見届けたい」 その言葉が重なった瞬間、天文台の望遠鏡の視野で、雲の切れ目がひとつ開いた。オリオンの観測画面でも、乱れていた基準星の列が静まる。地上の星図と宇宙の星図が、透明な紙を重ねたようにぴたりと合った。 こと座の星は同じ位置で瞬き、そのあいだを彗星の尾が細い弧として通った。これまで見えていた幾つもの可能性は、ひとつの軌道へ吸い寄せられていく。地球の公転面を越え、月の外側を大きく回り、太陽の向こうへ抜ける安全な道だった。 「出た……」 紗良は震える指で数値を書き取った。地上で待った尾の明滅、オリオンが横から捉えた核の位置、重なった星図の基準点。すべてを計算式へ入れると、誤差は初めて小さく収束した。 真壁が画面をのぞき込み、息をのむ。 「これなら訂正に足ります」 紗良は頷いた。恐れを消すための線ではない。二人が同じ願いで見つめ、彗星自身が示した、確かな通り道だった。
彗星は誰の空にあるか
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