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夜明けまで、病室の時計だけが規則正しく進んだ。玲は梓の手を握ったまま、何度も送信手順を頭の中でなぞった。けれど肝心の理由だけが、すでに薄い霧の向こうにあった。 梓は眠たげな目で玲を見た。 「難しい答えなのね」 「誰かを助けるために、何かを捨てる答えなら、すぐ出せる」 玲の声は掠れていた。「でも、捨てない答えは時間がかかる」 梓は小さく息をつき、窓の外の白み始めた空へ視線を向けた。 「答えを急いで、誰かを置いていかないで」 その言葉が、玲の内側を貫いた。どこで聞いたのかは思い出せない。ただ、雨の匂いと、濡れた肩に触れた冷たさが一瞬だけ蘇る。傘の下で笑う梓が、同じことを言った気がした。 一つを犠牲にしない答えを、最後まで探す。 それは梓が玲に残した教えであり、初期ログの略号へ自分が込めた意味だった。記憶を失ったはずの自分たちの間で、その言葉だけが形を変えて生き延びている。 警報端末が震えた。対策本部からの最終通告だった。政府案への承認期限は、あと四十分。玲は画面を閉じた。 「行くの」 梓の問いに、玲は頷いた。 「帰ってくる」 観測所では、回収海域へ至る青い軌道が、逆時鏡の中央で細く脈打っていた。玲は政府案を却下し、第三案の送信列を起動する。数千の過去へ散らす微小な修正。その最後の鍵として、抽出器は出会いの日を求めた。 故障した傘。雨雲の切れ間。梓の笑顔。玲はその全てを抱きしめるように目を閉じた。 「また会えばいい」 病室で聞いた声を胸に残し、玲は実行を押した。光が端子から逆時鏡へ走る。雨の日は、二人の中から静かにほどけ、過去の空へ送られていった。
