翌朝、澪は開店前の食堂で、祖母の献立帳を窓際に広げた。昨夜読めなかった余白に、朝の光を斜めから当てる。消え残った文字はやはり「佐伯千鶴へ」までだったが、そのすぐ上に小さな日付があるのに気づいた。十九年前の六月十二日。スープの手順が書かれた頁だけに、日付が付いている。 祖母の字は、急いで書いても払いの先が細い。日付の数字は角張っていて、鉛筆を強く押しつけた跡が紙の裏まで残っていた。誰かがあとから書き足したのだろうか。澪はほかの頁をめくったが、同じ筆跡は見つからなかった。 昼の仕込みに来た母に帳面を見せると、母は日付を指でなぞりかけ、すぐに手を引いた。 「千鶴さんの名前があるのね」 「おばあちゃんの親友だったんでしょう」 「昔は毎日のように来ていたわ。でも、この頃のことはよく覚えていない」 母は壁の暦を見つめた。澪が筆跡のことを尋ねても、誰の字かは分からないと言う。ただ、古い配給記録なら旧桟橋の資料室に残っているはずだと教えてくれた。 昼の粥を出し終え、澪は資料室へ向かった。配給局が移転したあと、不要になった台帳を市が預かった場所だ。閲覧台の上で十九年前の冊子を開くと、頁の隅に湿気で波打った跡があった。当時もこの街は、食べ物より海水のほうがずっと豊かだったのだろう。 六月十二日の欄には、豆や油の受け渡しが細かく並んでいた。その下に、臨時窓口の受付記録が一件ある。受け付けた品目は空欄で、申請者の欄には佐伯千鶴と記されていた。澪は献立帳の日付を思い出した。偶然にしては、重なりすぎている。 だが、千鶴が何を申請したのかは分からない。帳面の日付を書いたのが千鶴とも限らなかった。澪は冊子の番号と頁を控え、食堂へ戻った。入口では昨日スープを飲んだ娘が母親と一緒に待っていた。「青のり、採ってきたよ」。小さな手の籠を見て、澪は作り方を書いた紙をまだ渡せていないことを思い出す。待たせているのは、この親子だけではない。
商標より台所が強い
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