翌朝、澪は旧桟橋の資料室へ戻り、配給台帳を預かる職員に、十九年前の共同調理場を知る人がいないか尋ねた。職員が教えてくれたのは、いまは網の繕いを請け負う牧野という住民だった。 牧野の作業場には、乾いた網が天井から幾重にも下がっていた。澪が祖母と佐伯千鶴の名を出すと、牧野は針を置いた。 「二人とも覚えてる。あのスープの日もね」 「六月十二日ですか」 「そう。潮が高くて、調理場の床まで水が来た日だ」 牧野は当時、共同調理場で鍋を運んでいた。祖母が青のりの使い方を試していたことも、千鶴がよく手伝いに来ていたことも知っていたという。十二日の午後、千鶴は祖母から借りた献立帳を持って、配給局の臨時窓口へ行った。牧野は床に入った水をかき出したあと、窓口に荷を届け、そこで千鶴を見かけた。 「係の人が、考えたのは誰かって聞いたんだ。千鶴さんは、自分の料理だと答えた。私が知ってる作り方と同じだったから、変だと思ったよ」 牧野は棚から古い手帳を取り出した。六月十二日の欄には、浸水した床の修繕を頼んだ時刻と、窓口へ運んだ薪の束数が記されている。澪が資料室で見た受付の日付とも重なった。 「豆のことも、聞きましたか」 「十六日に千鶴さんの家へ追加で届いた。配達の荷を私が降ろしたから間違いない。ほかの家は減らされてた時期なのにね」 牧野は、局の係が千鶴に「汁の手順を預かる代わりの優先分だ」と告げるのを聞いたという。澪は母の帳面を開いた。共同調理場を辞めた日付も、豆が渡った日付も、六月十六日だった。牧野はその頁を見て、祖母が辞める前、千鶴と口を利かなくなっていたと静かに付け加えた。 帰り道、澪は帳面を鞄の奥へしまった。祖母が余白を消した理由を、もう確かめることはできない。それでも、親しかった相手に作り方を預けたことと、それを自分のものとして差し出されたことは、別だ。 食堂の前では、修理工の娘が青のりを干した籠を抱えていた。澪は待たせている紙のことを思い出した。過去を確かめるほど、この作り方を誰か一人の手の中に置いてはいけないと思った。
商標より台所が強い
小説ID: cmue8cjeq002k01mzn8t2m0ce
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