診療所へ戻ると、待合室の時計が午前三時を指していた。夜明けまでの残り時間を、秒針だけが律儀に食べている。 花嫁はドレスの裾をまとめ、白衣を羽織った。祝い事と勤務が重なった姿に、受付の看護師が一瞬だけ目を丸くした。 「患者さんの移動先を確保します。薬も、必要な分をすぐ運べるように」 湾内の病院へ連絡し、受け入れ可能な人数と搬送船の手配を確認する。冷蔵が必要な薬は、病院の保管庫を借りることになった。看護師が患者ごとの薬と記録を照合し、花嫁は移動の順番を決めていった。 「ここ、沈むんですか」 寝間着の青年が尋ねた。 「今すぐではありません。でも、安全なうちに動ける準備をします」 花嫁は腰を落とし、目を合わせて答えた。 すると、窓際の女性が端末を掲げた。 「家族への連絡なら、私が取り次ぐ。どうせ娘に起こされた仕返しがまだだったし」 「仕返しは抜きでお願いします」 青年も椅子に座ったまま、空の袋へ部屋番号を書き始めた。動ける患者が私物をまとめ、動けない患者は必要な品を伝える。待合室は、誰も任命されていないのに役職だけ増える対策本部になった。 浦辺が診察用の椅子を運ぶと、年配の男が手招きした。 「先生、腰が痛くてね」 「俺は探偵です」 「じゃあ、原因を探してくれ」 「その依頼は白衣のほうへ。俺が見つけても保険が利かない」 男は笑い、隣の荷物を膝から下ろした。その袋には、古い資材会社の名が印刷されていた。 「昔、共同浮体の資材を扱っていてね。今夜、お宅の旦那さんから電話があったよ」 花嫁が振り向いた。 「何を聞かれましたか」 「余った浮体をすぐ使えないか、と。ここに入院していると知って、私の番号を控えていたらしい」 男は通話履歴を見せた。管理局を出たあとの時刻だった。 「現物なら港外れの旧倉庫に残っていると言った。ただ、古い資材は点検が要る。置いてあるだけで使えるわけじゃない、ともね」 花嫁は看護師に引き継ぎを頼み、受け入れ先の連絡番号を机に置いた。 「ここをお願いします。夫を連れて戻ります」 浦辺は椅子から手を離した。ようやく、家具ではなく捜査が動く。 二人は救命胴衣を確かめ、港外れへ向かった。
診療所を浮かせて自宅を手放す
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