翌朝を待たず、朔は伴侶と峠へ登った。担架の寸法も、迎えに行く戸口も帳面に揃っている。あとは狭道に板を渡し、支え綱を張ればよいはずだった。 岩壁の曲がり角で、伴侶が足を止めた。 谷側へ張り出した雪棚の根元に、青い裂け目が走っていた。朔は二人分の荷を岩の上へ下ろし、長い枝で雪の縁を押した。欠けた塊が音もなく落ち、遅れて谷底から砕ける響きが届いた。 板を足しても、その下の雪が持たない。支えの杭を岩まで届かせるには、積もった雪を掘らなければならず、その振動で棚ごと落ちる恐れがあった。 「一人ずつなら、とは言えないな」 朔は枝を引いた。担架には前後の担ぎ手が要る。ここで誰かが立ち止まれば、後ろの列も雪棚に乗る。 帰り道、尾根の古い道標の下に、昨日の降雪を知るための目盛りがあった。新雪の層は太い刻みを越えていた。五日前なら、この重みはまだない。岩の窪みを露出させ、そこへ杭を据えて板を支えられる。 村へ戻り、大工に帳面の図を見せると、必要な木の長さと綱の本数が書き加えられた。朝から材を運べば、昼には渡せるという。 人を集める言葉も、役割も残っている。ただし、戻れば今日の相談はすべて消える。 朔は使いを出す順番まで書き、伴侶と森へ向かった。 最後の石標には、ほかの石より深い溝があった。白鹿が鼻先を寄せると、月光の文字が浮かんだ。 共に生きる者を、初めて迎えた日の記憶。 朔の胸に、春の市が広がった。雨を避けた軒下で、見知らぬ人が籠を傾け、濡れていない場所を空けてくれた。袖から落ちた雫を二人で見て、同時に笑った。その笑いが収まっても、朔は市へ戻らず、もう少しそこにいたいと思った。 今も覚えている。雨の匂いも、空けられた場所の狭さも。 「これを失ったら、あなたを見ても、帰ってきたと思えないかもしれない」 伴侶は石標ではなく、朔を見た。 「今、答えなくていい」 差し出された手は、氷へ向かう朔の腕を引かなかった。 「どちらを選んでも、あなた一人に責任を負わせない。道を探すのも、皆に話すのも、一緒にする」 朔はその手を握り、まだ失っていない軒下の光景を、胸の内でもう一度たどった。
白鹿に預けた出会いと二度目の自己紹介
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