机に置いた盆の底には、水滴が一つ残っていた。私はそれを指で拭い、父を見た。 「お前に人を教えられるのか、って言ったよね」 父の視線が、私の手元に落ちた。 「あの一言、実家に向かうたびに思い出すんだ。玄関を開けたら、また適性検査が始まる気がして」 「受験料も取らないのに、ずっと再試験なのね」 母の声に、私は少しだけ笑えた。 「学校では、生徒が言い返しても、保護者に怒られても、まず落ち着こうって考える。私までむきになったら困るから。でも、家でも同じことをするのは嫌だった」 言葉を選ぶ間、父は待っていた。 「今日こんな授業をしたとか、生徒にこう言われたとか。ただ話したい日もあるのに、教師を選んだのは間違いじゃないって、証拠をそろえるところから始めたくなかった」 妹がうなずいた。 「夕飯に証拠資料が付いてきたら、食卓も狭いしね」 父は注文札に手を伸ばしかけ、途中で止めた。 「店が、うまくいかなくなってた」 低い声だった。 「仕入れの金も、翌月の売り上げも気になって、自分が決めたことに自信がなくなってた。それで、お前が教師になると決めたときも、不安なことばかり言った」 父はそこで口を閉じた。私は、いつもの逆接を待ってしまった。 だがも、ただも、出てこなかった。 「自分の商売で行き詰まって、子どもの決断にまで不安をぶつけた。あれは、お前の力を見て言った言葉じゃない」 胸の奥が緩みかけて、まだ硬いところに引っかかった。 「そう言われても、すぐには許せないよ」 「うん」 父がうなずく。短い返事を疑って、顔を見直した。 「ここで丸く収めたら、また家でも先生をやることになるから」 「採点は後日でいい」 「採点しない。ただ、まだ嫌だったって言うかもしれない」 「聞く」 今度の返事は、札に書き直す必要がなさそうだった。 私は盆を持って立った。 「でも、今夜来たのは、母さんに頼まれたからだけじゃない」 父が顔を上げる。 「雨の中で一人にしたくなかった。腹は立ってても、心配はするんだよ」 妹が空の器を重ねた。 「感情って、きれいに分別できないね」 「器は分けてね」 母の一言で、妹は慌てて手元を見た。 父も盆を一枚持った。控室を出るとき、私の後ろで足音がした。帰る理由を説明する代わりに、私は父のぶんだけ扉を開けて待った。
父の謝罪は注文よりぎこちない
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