月が軒先を越すころ、蛾の羽を持つ客が店へ寄った。お紺の糸巻きを見ると、細い指で端を押さえる。 「きつく巻いちゃ、月の息が詰まるよ。ひと巻きごとに、指一本ぶん空けるんだ」 教わったとおり、麻糸へ月光をゆるく巻く。先日の糸より、銀の光が長く続いた。客は手を振って、夜道へ帰っていった。 宗吉は桶の縁に小さな受け枠を取りつけていた。竹籠の上へ糸を渡し、片端を枠へ掛ける。 「布には触れさせねえ。水だけ、ここを通す」 踏み板が鳴った。銀の筋が水面を渡り、浮いた細かな汚れを絡め取る。水の巡りに押されて、黒ずんだ糸が受け枠へ寄った。 「おお、掃き寄せたみたいだ」 宗吉が笑う横で、お澄は布片を広げた。染みついた油は、まだ丸く残っている。 「水へ離れた汚れしか拾わない。糸が布まで洗ってくれるわけじゃないね」 さらに汚れた水を足すと、糸は光を弱め、汚れが前を素通りし始めた。お紺は合図して、踏み板を止めさせた。 「抱えきれなくなったんだ」 お澄が糸の長さと、止めたときの水の濁りを帳面へ記す。何度踏めばよい、と決めるだけでは危なかった。 三人は古い木綿の汚れを薄い灰汁で下洗いし、すすいでから籠へ入れ直した。軽く水を巡らせると、今度は残った汚れが銀の糸へ静かに移る。 「手仕事をなくす桶じゃない。手仕事の続きを受け持つ桶なんだね」 お紺の声に、戸口から低い咳払いが返った。川吉が受け枠を揺すり、桶の箍を指で確かめている。 「きれいな仕掛けだ。だが、月は客の注文に合わせちゃ出ねえぞ」 褒められたと思った宗吉の顔が、少し引き締まった。 「昼の仕事を支える確かさがなきゃ、看板にはできねえ」 川吉が帰ったあと、お紺は残った月糸を箱へ収めた。お澄が帳面に、翌日の昼にも使えるか、と書く。 「明日は日なたと日陰、両方で試そう」 宗吉がうなずき、踏み板の脇へ試し布をそろえた。お紺は箱の蓋を閉め、その上に、客から教わった巻き方を書いた紙を置いた。
魔物の着物を洗うには月が要る
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