試し桶の噂は、洗った布より早く町を巡った。十枚いっぺんに洗えるらしい。井戸が空になるらしい。翌朝、町年寄の使いが店へ来た。 「井戸水と、流す水を案じる声が出ておる。その桶を使う商いは、当分差し控えるように」 お紺は頭を下げ、踏み板を壁際へ寄せた。まだ銭を取ってもいない仕掛けに、先に差し止めが来た。宗吉が唇を噛む。 「見もしねえで、邪魔だと決めるのか」 「私たちも、よその水の使い方を見ていなかったよ」 お紺は聞き取り帳を抱えて共同井戸へ向かった。釣瓶を引く女たちに声をかけると、朝は飯炊きと子供の顔洗いで水が要るという。昼には宿の下働きも汲みに来る。 「大きな桶で何度も取られちゃ、こっちは待つばかりさ」 反対しているのは、歯車でも月糸でもなかった。待たされる朝と、濁るかもしれない溝だった。 井戸端には、水を運んで銭を得る男もいた。商館の移転で荷運びの口が減り、天秤棒を担ぎ始めたのだという。 「店が自分で汲みゃ、俺の仕事も減る」 「使う量を決めて、運ぶのを頼めないかしら」 安請け合いはせず、運ぶ時刻と駄賃を帳面に残す。店へ戻ると、三人は同じ小桶で水を量った。下洗いとすすぎに使う分も数えれば、試作桶だけの水では済まなかった。 「月糸があるから、水が要らないとは言えないね」 お澄の言葉に、お紺はうなずいた。回収した汚れは布に包み、灰汁を含む水は蓋付きの別桶へ分ける。流す場所も勝手には決めない。 宗吉は桶の縁に水位の印を刻んだ。川吉へ点検を頼むと、返ってきたのは、やはり厳しい声だった。 「空の桶を眺めてもわからん。水を張って、何度も踏んで見せろ」 お紺はその言葉も書き留めた。都合のよいところだけ見せたら、噂と同じになってしまう。 夕方、町年寄へ願書を届けた。営業を急いで認めてほしいとは書かなかった。井戸を使う町の者を立会人に置き、水の量、汚れの始末、桶の点検を示す試験を願った。 「見ていただいて、困るところが残るなら、直します。使わずに済ませる手順もお見せします」 返事は、まだなかった。店へ戻ったお紺は、止まった踏み板の隣に帳面を置いた。今度は桶だけでなく、町の暮らしも確かめる番だった。
魔物の着物を洗うには月が要る
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