翌朝、町には箒の音が戻っていた。毒気を防ぐつもりで店先に積まれた空樽が片づけられ、魚屋の呼び声が、いつも通り路地を抜ける。空にも町にも、恐れていた大きな異変はなかった。 仁は理科教師と、講堂に残した記録を整理した。新聞の写しを日付順に綴じ、観測帳には昨夜の空の様子を添える。 「明日も、誰かが見てくれるでしょうか」 「続ける場所があれば、見に来る者もあるだろう」 自分だけが先を知るより、皆が同じ空を確かめられる。その習慣が残るなら、何度も朝をやり直した甲斐もある。 そこへ町の世話役が、晴れやかな顔で迎えに来た。 「仁君に、お見せしたいものがありまして」 案内された辻で、仁は足を止めた。余り板でこしらえた小さな祠に、制帽をかぶった少年の似顔絵が納められている。脇の札には、堂々と墨で書かれていた。 『未来を知る神童』 「誰ですか、これは」 「いやだな、君に決まっている」 絵の仁は、本人より立派な眉で遠くを睨んでいた。 「昨日は、僕の言葉だけを信じないでと」 「それこそ御利益だ。先生の難しい話まで、皆に聞かせてくださった」 魚屋の主人も頷いている。仁は教師を見上げた。教師は眼鏡を拭き、言葉を探していた。 祠を壊せと怒鳴ったところで、今度は謙虚な神童と褒められそうだった。 仁は観測帳を、祠の隣の台に置いた。店から硯と筆を借り、白い頁を開く。 「お願いがあります。願い事の代わりに、見えた星を書いてください。いつ、どちらに見えたかも。星の名前は、わからなければ空欄でいいです」 「拝む前に、ですか」 「まず、空を見るところからです」 最初に来た八百屋の娘が、筆を取った。 『昨夜、夕飯のあと。南に明るい星一つ』 仁は笑って頷いた。書き足された一行は、予知よりずっと頼もしく見えた。 ところが次の客は、帳面にまでありがたそうに手を合わせた。 「これで商売繁盛だ」 仁にはもう、明日のことはわからない。せめて今夜は空を見てもらおうと、苦笑しながら筆を差し出した。
彗星よりも神童扱いが恐ろしい
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明治四十三年のハレー彗星騒動を背景にした歴史小説を書いてください。朝起きたら翌日までの出来事を予知できるようになった旧制中学の仁は、放課後の天文部室で、午後五時になるとその日の朝へ逆行する星時計を発見する。時計の奥には影を身分証にする異世界があり、仁は奇妙な常識を楽しみながら観測道具を借り、町の『彗星の毒気』への恐怖を解こうとする。予知は異世界では外れ、逆行のたび借り物の返却期限だけが迫る。冒険心ある試行錯誤の末、迷信を退けた本人が『未来を知る神童』として祀られる皮肉な結末にする。
