石畳に立つと、背後の入口が掌ほどに縮んだ。戻り道を案じる間もなく、槍を持った門番が仁の足元を指した。 「影を、こちらへ」 仁が名乗ろうとすると、門番は首を振った。星の灯をかざし、影の帽子から踵までを見比べる。 「よし、確かにお前さんだ。顔は変わるが、影の縁は嘘をつかん」 誰と確かめたのだろう。尋ねる前に、門番は自分の影を裾のようにつまみ、二つに畳んだ。 「挨拶はこう。相手の影を踏むのは喧嘩を売るのと同じだ」 仁も影へ手を伸ばした。指に冷たい布の感触があり、思わず笑った。教室では教わらない作法だった。 門の先には、遠眼鏡を並べた店があった。腰を下ろすと、座布団が仁の影に合わせて細長く伸びた。 「帽子を取れば、もう少し楽に座れますよ」 店主に言われて制帽を脱ぐ。座布団の端が丸く縮み、今度こそ声を立てて笑ってしまった。 「地上の彗星を調べたいんです」 店主は真鍮の望遠鏡と、星図と、観測用の鏡を風呂敷に包んだ。鏡には、天井ではなく細かな星が映っている。 「空を怖がる前に、よく見ることです。借りるなら、ここへ影を」 開かれた貸出帳へ手をかざすと、指の影が紙に染み込み、墨の印になった。 「地上の朝が戻っても、こちらの期限は戻らない。帳面も進みます」 仁は印の横に並んだ星を見た。借り物が一つでも残れば、星時計の蓋は閉じないという。 それでも仁の胸は軽かった。先の出来事がわかるのだ。予知さえあれば、返す時刻に困ることもないだろう。 「必ず返します」 影を畳んで礼をし、来た門へ向かった。畳み方は褒められた。なんだか異国の言葉を覚えた気分だった。 入口は影を近づけると広がった。 部室へ戻った仁は、机に道具を並べ、時計の蓋を押した。閉じない。細い隙間に、紙一枚もないのに何かが挟まっている。 鐘が鳴った。午後五時だった。 蓋を押さえる指ごと、身体が影に引かれる。 次に手の中にあったのは、真鍮ではなく、温かな味噌汁の椀だった。 「仁、遅れますよ」 母の声を聞きながら、仁は掌を開いた。貸出帳に吸われた指の影だけが、まだ冷たかった。
彗星よりも神童扱いが恐ろしい
小説ID: cmw53skf1000201plrgzm1wc9
2 / 10
